今を生きることの難しさ

今を生きるってどういうことか?

今を生きるという言葉を聞いて、自分はしっかりと出来ていると心からそう思える人はなかなかいません。
なぜなら、どこかで過去のことを思い出し、なぜああいうことをしたのかと後悔する人が多く、また過去のトラウマによって傷つけられた人などはいつまでもそのことを引きずったり、恨みの感情をもったりして日々を過ごす人もいるからです。

こうなると、過去に引っ張られてしまい未来のことを明るく考えられないようになってしまいます。
多かれ少なかれ誰しもがそうしたことを経験している分、今を生きることが出来ていると胸を張って言えない部分と言えます。

過去にあった出来事に後悔するケースよりも何かを失った経験から先に進めないという人も結構います。
何かを失う経験というのは人の心を大きく傷つけます。

一般的に思いつくものとすれば家族との死別があります。
また恋人や友人との死別も相当辛いものがある一方、一方的な別れという意味ではこれも喪失体験の1つです。

近年はこれにペットが含まれており、家族の死別と同じレベルで苦しい思いをした人も少なくありません。
それだけ多く愛情を注ぎ、その相手が死んでしまうことは心を思い切り傷つけたとしても仕方ない状況です。

失うことがある一方で手に入れることができるという事実がある

ただ、誰かと別れるなどのことはいずれ傷が癒えて新たな出会いにつながることがあります。
その一方で安定が失われることや当たり前と思っていたものがなくなることへの喪失感は想像を絶するほど辛いものです。

年齢を重ねていくうちに若さを失うことも喪失感につながり、定年退職で仕事を失うこともその1つです。
定年退職になった瞬間、家で何もすることがなくずっと家で過ごすようになり、そこから夫婦でトラブルが起きて熟年離婚につながることもあります。
こうなってしまうと、今を生きることがどれだけ辛いかを想像せずにはいられなくなります。

こうなってくると何かを失うことは人生の中では仕方ないことなのではないかとも感じることができます。
何も失うことなく人生を過ごす人はまずいません。
必ず何かを失い、そのことへの悲しみを感じることになります。

忘れてはならないのが、失うことがある一方で手に入れることができるという事実です。
今を生きるということは失うものを覚悟し、得るものは得るという覚悟を持つことにつながっていきます。

働きすぎて自分を見失うのであれば生活水準を下げてでも働く頻度を落として悠々自適に過ごすことも、失うものはありながらも大切なものを得ているはずです。

自分にとって本当に大切なものは何なのかを問い詰める

あまりにも失うことばかりを考えるために、現実を直視できないことは十分に考えられます。
もしくは過去に失った経験がトラウマになっているため、同じような経験を二度としたくないために将来を悲観するというのもあります。

いずれにしても、失うことに対する恐怖というものを取り除かない限りはなかなか現状を認めつつ自分らしく生きるというのは難しいです。
そのために何ができるのか、こう考えてみるととにかく新たな出会いを模索し、何かを始めてみることが求められます。
そうすると新たな発見につながり、今までになかった価値観と出会えるかもしれません。

確かに今を生きることは難しく、なかなか実践するのは大変な部分です。
しかし、今まで自分を縛り付けてきた固定観念は実につまらないものであり、プライドなど他人にとってどうでもいいものが邪魔をしていただけというのが真実です。

プライドを捨てたところで得られるものは多くあります。
仕事をたくさんこなして年収があったにしても、生活が味気ないと判断すればそれを捨てて好きなことをやるのもおすすめです。
なぜ失いたくないのか、そのあたりに目を向けてみると、新たな見方ができるかもしれません。